北海道 松前・函館方面参拝の旅

平成22年5月12日~14日 泉澤慎吾
昨夜からの小雨は夜が明けても止まず、気温も平年以下という低さ、十七回を数える恒例の本山巡りの出立日、少々旅支度に戸惑いを感じた朝だった。六時、バスで羽田へ、車中はいつもの顔なじみの方々ばかり、天候に関わりなく楽しい雰囲気に包まれていた。北海道松前法華寺参拝の空の旅、高度一万一千メートル雲海をぬけると青空が広がっていた。一時間程で函館空港に到着する。
渡鳥観光バスにて海沿いの国道を松前へ、天気がよくないので下北半島がかすみ、時折車窓に北の冷たい雨が光り、津軽海峡の白い波頭が見える。途中詩人石川啄木の坐像がおかれ、台座には句が刻まれていた。昭和二十九年九月沖合八百メートルの所で台風十五号によって青函連絡船「洞爺丸」が遭難、一五六三人の尊い命が失われた。五十六年前の大きな事故で
今でも記憶に新しい。海辺に建つ慰霊碑に車中から手を合わせ通りすぎる。北海道と本州を結ぶ青函トンネルが昭和三十九年に着工され、五三八五キロの世界最長の海底トンネルが完成する昭和六十三年のこと当時の
水中探査機が展示されていた。車は北海道最南端の白神岬を経て松前へ到着、昼食の後、道内に於ける日蓮宗宗門史跡、妙光山法華寺を参拝、御住職中里観正上人に迎えられる。御衣をまとい本堂へ、鐘の音に続き読経が始まる。北の大地でお題目を唱えることの意義をかみしめ、多くの先人達が布教伝道に力を尽くし、歴史に残された足跡を偲び合掌する。

中里上人のお話によると、生まれは浅草江戸っ子とのこと、縁あってこの地にてご住職となる日蓮宗六老僧のお一人「日持上人」を開基とし北辺の地を舞台に法華経を広める。今を遡ること七百年前、その後大陸に向かったといわれ海外伝道の始祖とも伝えられている。 鎌倉時代元弘元年の作で「日像」花押と「大覚僧正」の銘文のある日蓮聖人坐像は重要文化財に指定され法華寺寺宝として祖師堂に安置されて信仰をあつめている。
中里上人に見送られ法華経北の拠点である法華寺をあとにする。外はまだ時折降る雨、気温も低く寒さが厳しいが桜は満開を迎えている。明日天気の回復を願い予定より早く旅館に入る。いつも乍ら宝輪トラベル伊藤さんのきめ細かい対応によって楽しさも倍増、入浴の後夕食タイム。道南で水揚げされたウニ、アワビをふんだんに使ったお膳に満足し大いに盛り上がる。

早朝窓を開けるも小雨が少し残っているが元気に松前城の見学に出発、戊辰戦争の最末期旧幕府軍(新撰組土方歳三率いていた)と激しい攻防の舞台になった場所であり松前城周辺には八千本の桜が植えられており丁度満開と言っていた。二百五十種の桜、今年は二度のお花見を楽しんだ。松前城をバックに記念撮影。裏手に広がる寺町を散策、幕末の動乱の世界に生きた松前藩の歴史を語る
ガイドの説明に頷く。松前を離れて江差へ移動する。暫く雲が切れ雨は上がるが北の風は冷たい。建物が当時の繁栄を物語っている。北海道有形文化財に指定されている横山家、二百年以上の歴史があり代々受け継がれた鯡御殿当主からユーモアを交えた説明を聞きながら江戸時代の佇まいを見学。別棟にて昼食の鯡そばが江差の文化を伝えていた。後オランダで建造された幕府の軍艦開陽丸を見学、戊辰戦争で活躍したが暴風によって江差沖に沈没する、残されていた原図をもとに復元された。海底に沈んでいた
遺物を引揚げて展示されており幕末の歴史を今に伝えていた。追分会館にて正調江差追分を聞き鯡漁全盛期の回船問屋「中村屋」を見学、江差追分と鯡の関わりを知り北海道の文化を肌で感じた二日目の旅であった。
 再び函館へ、湯の川温泉「若松」にて旅装を解く。景観食事対応共に申し分なし。今回の行程は残念乍ら体調不良で参加出来なかった幹事の小池弘蔵さんの計画とか、早く元気になってと願い感謝する。評判通りの宿で今日の疲れをほぐす。夕食時十年目、五年目の参加者と、特に全回皆勤の田中八重子さんにそれぞれ貞真上人より記念品が贈られてその努力を称える。

山海の珍味にも舌鼓、二日間の疲れも忘れて賑やかに親睦を深める。予定時間を繰り上げて函館山(海抜三三四メートル)の展望台から夜景を楽しむ為にバスで出発、外は雨も上がり冷え込んでいる。
名ガイドの説明によると今夜は最高の条件とか、期待をすること三十分、急坂な山道周辺は真の闇、ベテランドライバーの金沢さん、熟練した運転テクニックで展望台に到着する。ナポリ、香港と並んで世界三大夜景の一つと呼ばれ、余りの素晴らしさに思わず息を呑む。寒さは厳しいが最高の
ハイライトを満喫することが出来た。三日目の朝食後、若松を後に名物函館朝市に足を運ぶ。北の海は魚の宝庫、所狭しと並べられている新鮮な魚介類に満足しお土産を求めて朝市を楽しむ。北国の春は遅い、行く先々で桜が迎えてくれる。黒船来航から始まった幕末の動乱、政府軍と最後の
戦の場となった函館五稜郭もソメイヨシノが咲き誇り星のように広がり二度目の春爛漫を満喫する。
激しい攻防の末、土方歳三が戦死、幕府軍は降伏する。見果てぬ夢の象徴でもある五稜郭は歴史の語り部として後世に伝えている。旅も終わりに近づき国定大沼公園に立ち寄る。活火山駒ケ岳を正面に臨み手付かずの
自然が残されている。夏の味覚、じゅん菜の宝庫でもあり冬にはワカサギ釣りを楽しむ人々の憩いの場所、湖畔の小さなレストランでランチタイム。静かな湖を遊覧船で一周する。

あっという間の三日間、北辺の布教の地に参拝でき、嬉しかった。
本山巡りの旅も未だ道半ば、これからも是非参加が出来ることを願い、お世話になった皆様に感謝して家路に着く。
<檀家・泉澤慎吾いずみざわしんご>