平成21年5月11日~12日 泉澤慎吾
首都高から都心のビル街を右に見て左にもやに霞む東京湾を眺めながら、幸先の良い十六回目の本山巡り、信仰の旅のスタート。車内はいつもと同じ和気あいあいの楽しい雰囲気。東名から西富士道路へ入る。
移りゆく車窓から残雪光る富士山が見えてきた。宝永年間に大噴火があり、宝永山が出現し、又大沢くずれが発生した。自然の脅威、富士山の歴史を語るガイドさんの名調子に暫し耳を傾ける。
【富士山久遠寺】
午前七時、御住職に見送られ江川橋際を出発して三時間、最初の参拝寺院「富士山久遠寺」に到着する。建武元年(一三三四)正月、日蓮聖人の法孫日郷上人によって、六老僧日興上人の遺志を継いで開かれた由緒本山。富士五山の一つ。日興上人の法脈を継承する一寺として知られる。宗祖在世中より日興上人はこの地を「小泉村は仏法有縁の地」と言われて嘱望し、弘長元年(一二六一)より開教に努められ、既に小泉法華講が出来ていた。然し、度重なる火災に遭い本堂始め伽藍の大半が焼失、再建するも明治元年に客殿始め五棟が再び罹災。その後再建し、客殿は昭和二十七年に完成、実に八十五年振りのこと。
本堂に於いて御開帳、お題目を唱え合掌。お上人に案内され、宗門随一と云われる大太鼓を見学。直径一メートル四〇、重さ一トン二〇〇、とてつもなく大きい。ご好意で一人ずつ打たせて頂いた。
その響きは体中に染み渡り、身も心も洗われる様な感動を覚える。
【北山本門寺】
山門から見る素晴らしい富士山に見送られ久遠寺をあとにする。富士宮市内の蕎麦の老舗「美やじま」で昼食、駿河湾名産、旬の桜海老の天ぷら、名物の手打ちそばに舌鼓、食後一休み後出発。市内の「大本山富士山本門寺」を参拝する。「北山本門寺」とも呼ばれ、七百有余年の昔、日興上人により開創された。永年富士門流の総本山であった。現在では日蓮宗大本山に列せられている。宗祖入滅後、身延山を本拠地として甲斐駿河の伝道に当たられていたが、正応元年(一二八八)宗祖七回忌の後、身延を下山、富士山裾野に広がる大石ヶ原に草庵を結ぶ。その後、重須石川能忠・上野南條時光の両地頭より土地の寄進を受け、上野及び小泉法華講の協力を得て、霊峰富士を望む重須の地に永仁六年(一二九八)、日蓮聖人御影堂・本化垂迹天照神宮・法華本門根源の三堂を建立。寺域六万坪を領し「本門戒壇建設発祥の地」として後進の指導育成に努め八十八歳で遷化されるまでお題目の流布に力を注がれた。当寺は多くの宝物を伝え、中老僧日法上人が
彫刻された「生御影御尊像」は当山第一の霊宝として本堂に安置されている。寺内には日興上人お手植えの幹回り七メートルもある巨杉が七百有余年の間風雪に耐え「題目杉」として現存している。徳川家康ゆかりの「鉄砲の御本尊」は、家康、武田攻めの際、日蓮聖人の御本尊をお守りとして借用したところ、相手の弾がお守りに当たり難を免れたと伝えられる。このお礼として北方八キロメートルから水路を引き本門寺堀として現在でも重要な灌漑用水路として利用されている。参拝の後、案内されて今でも当時と変わることのない澄んだ雪解け水が勢いよく流れる「本門寺堀」を見学。昭和五十九年再建された往時の威容をしのばせる
仁王門前で記念撮影、富士宮をあとにする。
【修善寺温泉】
沼津インターから国道へ入り今日の宿泊地修善寺温泉に向う。山あいに、自然に囲まれた八千坪の敷地の中にこじんまりしたいやしの宿、渡月荘金龍宙(そら)に到着。先ずひと風呂浴びて手足をのばす。程なく夕食タイム、十五回参加者三名を含む永年参加者に貞真上人より記念品が贈られて、その努力を称える。「継続は力なり」あらためて私も頑張る気持が湧いてきた。大塚義教総代の挨拶に続いて、今日一日を振り返りながら懇親を深め、明日も楽しい参拝の旅になることを祈る。山の朝は静寂、温泉の流れる音のみ聞こえている。夜明けに
幻想的な「光の野天風呂」に身を沈めて自然を満喫。朝食後出発、残念ながら雲が低い。
【本山本立寺】
日蓮聖人伊豆法難ゆかりの本山、韮山の大成山本立寺(江川家の菩提寺)を参拝。伊東に流された日蓮聖人と出会った江川家十六代江川太郎左エ門英親は、その教えに深く感銘を受け帰依し、在家のまま弟子となる。永正三年(一五〇六)二十四代英盛は江川邸の大乗庵を移築、本立寺を創建する。本堂の裏手は江川家累代の墓所となっている。寺内には鎌倉東慶寺(駆け込み寺)元徳四年(一三三二)銘の
梵鐘(県指定文化財)が伝わっている。お題目を唱え合掌、後、客殿にて湯茶の御接待を頂く。本立寺では境内の整備を行っており、献木の寄進を受け付けていたので趣旨に賛同し協賛する。次回機会があって再び参詣の砌には、成長した満開の紫陽花、秋には紅葉が出迎えてくれるのではと思いながら下山した。
【いやしの里根場】
予定の時間を少しオーバー、西富士道路から河口湖畔を目指す。裾野に広がる緑のじゅうたん朝霧高原、パラグライダーはじめアウトドアを楽しむ若者、車はスピードアップして進む、のんびり寝そべっている乳牛の群、車が近づくと道路際に集まってくる。先程まで隠れていた富士山が姿を現す。目前に観る富士山さんは息をのむ美しさだ。「西湖いやしの里根場(ねんば)」に到着。
「石挽き手打ちそば松扇」にて昼食。旨い!の一言。全国でも上位にランクされている蕎麦の名店。食後「いやしの里」を散策する。茅葺屋根の集落、昔ながらの水車、庭には大きな鯉のぼりが威勢よく泳ぎ散策する人を楽しませ、武田信玄由来の伝統工芸、西湖根場の歴史、文化の紹介あり、懐かしい日本の姿があった。
【結び】
予定を少々過ぎて帰路につく。青木ヶ原の樹海を抜け、富士に別れを告げて中央高速へ入りスピードを上げる。途中、談合坂にて休憩。心配された渋滞もなく首都高からレインボーブリッジを渡ると間もなく浦安。今回も各本山の歴史を遡り、新しい発見があり、実り多い二日間であった。この度「宝輪トラベル」の添乗員伊藤さんのきめ細やかにお世話を頂き楽しみも倍増した旅であった。心から感謝し、
又来年も参加出来ることを祈りながら家路につく。
合掌 <檀家・泉澤慎吾いずみざわしんご>