九州参拝の旅

平成十八年四月二十五日~二十七日 泉澤慎吾記
羽田を発って一時間半。快適な空の旅も一息入れる間もなく福岡到着。出迎えの観光バスで、三日間の九州方面参拝の旅の始まりです。 飛行機から富士山がきれいに見えました

【日蓮聖人銅像】

心配された天気も上々。南国の日差しを浴びて出発。福岡東公園の一角に、全長十メートル、重さ七十五トンというとてつもない大きな日蓮聖人銅像。蒙古の方を向き左手に立正安国論、右手に数珠を持ち、玄界灘の海風に法衣をひるがえし海の彼方の人々に法華経を説く姿。台座の正面に「立正安国」の文字、
周囲には七枚の銅版の法難図がはめ込まれ、その周りをお百度を踏む人々が絶えないそうだ。
全員でお題目を唱え、法難図を手で触りながら周囲を廻った。

【大宰府天満宮】

「東風吹かば・・・」の歌で有名な菅原道真公。延喜三年(九〇三年)、ここ大宰府でその生涯を閉じた。道真公は学問の神様といわれ、天満宮は道真公をお祀りしているので、受験生や修学旅行生で賑わっている。お参りの後、名物の「梅ヶ枝餅」を売るお店が軒を連ねている参道を通り、大宰府をあとに佐賀県小城市に向かった。

【光勝寺】

鎮西本山松尾山光勝寺は、開山当初、千三百町歩、十万石の格式をもっていたが、現在では五町歩を残すのみ。しかし、七堂伽藍、二十七棟の建造物があり、日蓮宗九州唯一の本山。文保元年(一三一七)、下総の千葉胤貞公が創立。開山上人に中山法華経寺第三世日祐上人を迎え、十四世までは中山法華経寺と両山一主制だったが、十五世に初めて専任の住職として、久遠成院日親上人(鍋かむり日親上人の名で有名)を迎えた。日親上人は十九歳の若さで布教に力を注ぎ、九州一円に教義を弘めたので、西日本の多くの寺院が開山に日親上人の名を伝えている。慶長年間、公が肥前鍋島堂宇の朽廃を嘆き、総けやき造りの十間四面極彩色の本堂、九間・十九間の講堂を再建寄進されたのが現在のもの。読経後、執事長より千葉氏と光勝寺のいわれについてお話があり、大変興味深く聞くことができた。
湯茶接待を頂き、本堂前で記念撮影の後、今日の宿泊地、玉名温泉へ向かう。

【本妙寺】

翌朝八時半、玉名温泉を出発、熊本市へ移動。本妙寺は加藤清正公が父清忠の菩提の為に創建、京都から発星院日眞上人を
迎えて開山したのが始まり。天正十三年(一五八五)のこと。
熊本城の築城のみならず、すぐれた土木技術を使っての新田開発、堤防を築くなど多くの恩恵を残した為、肥後の人々から清正公さんと呼ばれ親しまれていた。清正公は深く日蓮宗に帰依し、母伊都の菩提の為に池上本門寺の祖師堂を建立(宝永年間に焼失)、又本門寺正面の九十六段の石段も清正公の寄進によるものだ。熱心な法華信仰を貫くも、享年五十歳で病のため逝去。拝殿で清正公の御開帳後、宝物館を見学、戦国に生きた武将の信仰心に感銘を受け、石段を下る。坂下には色鮮やかなツツジが満開の境内、緑に囲まれた本堂を参拝して、本妙寺をあとにする。

【水前寺成趣園】 長寿の水

東海道五十三次を模したといわれる桃山様回遊式日本庭園・水前寺成趣園を見学。細川歴代藩主を祀る出水神社を参拝。境内には年中枯れることのない湧き水「長寿の水」がある。百薬の長として多くの人々に親しまれている
ということで、私も一杯いただく。

【黒川温泉】  宿・黒川温泉奥の湯

小雨が降ってきた。熊本城を見ながら市内を抜けると、西南の役の激戦地、田原坂が近づく。英雄西郷隆盛の最後の悲劇を伝える場所として有名な所だ。阿蘇の外輪を通り過ぎて行く。深い霧がかかり、天気がよければ素晴しい山の景色、と思うと少し残念。程なく黒川温泉へ。道が狭いので、迎えのワゴン車に乗り「奥の湯」に到着。聞こえるのは渓流のせせらぎだけ。窓の外は立ち昇る湯煙、山一面をおおう霧、まさに山間の秘境。夕食はイワナの焼物、さくら肉(馬刺)、山菜の天ぷら、旬の竹の子等等、山なればこその貴重な食材が、お膳を賑やかにしてくれた。明くる朝は、早めに起きて散策。澄んだ山の空気がひんやり心地よい。

【湯布院~別府地獄めぐり】

翌朝は9時に黒川温泉を出発、湯布院を目指す。「九州は日本史のふるさと」と云われる如く、ガイドさんの興味深い説明が続く。窓外を通り過ぎていく世界有数のカルデラ地帯(阿蘇盆地)、間もなく由布岳(一五八四メートル)が目の前に広がる。キリシマツツジが群生し、六月中旬になると、一面紫紅色の花園になるという。金鱗湖を散策、湯布院民芸村を見学し、別府地獄めぐりへ向かう。大分県の温泉源は全国の三十%を占め、別府は温泉の都といわれ、その湧出量は世界第二位にランクされているそうだ。疲労回復に効能がある
というので、しばし足湯を楽しんだ。

【富貴寺】

血の池地獄をあとにすると、観光物産店に立寄り、九州名物を買い求めて大きな袋を手に車中へ。旅も終りに近づき、周防灘を臨む豊後高田に位置する富貴寺に到着。歴史を感じる長い石段を上り、平安時代に造られた阿弥陀堂(国宝指定)の中には、藤原末期(八百年代)の作といわれる阿弥陀如来座像(重要文化財指定)が安置されている。特に堂内の壁画は平安の三壁画の一つに数えられ一二〇〇年前の素晴らしい文化に触れることができた。

これですべての予定を消化して、大分空港へ向かう。旅のまとめとして副住職より「いつどこにいてもお題目を唱えることの大切さ」についてお話があり、実り多い三日間の旅に大満足して帰路についた。お世話になった幹事さん、参加者のみなさん、ありがとうございました。
文章・檀家 泉澤慎吾