新潟参拝の旅

平成19年4月11日~12日 
宿泊:蓬平温泉 和泉屋 42名参加 記 泉澤慎吾
関越トンネル(11キロ)を抜けると景色が一変し、残雪の山なみが目の前にひろがる。正福寺恒例の本山巡り十四回目の参拝の旅。四十二名の参加者と共に春を待つ越後路を秩父連山、赤城、榛名の山々を遠くにのぞみながら一路北へ・・・。

【妙法寺】

湯沢を過ぎ、信濃川を越えて新潟へ入り、長岡市村田の本山・法王山妙法寺に予定通り到着する。桜がまだ五分咲きの参道を通り本堂へ。ご高齢とお見受けする貫首様に迎えられ、ご挨拶ののち、読経が始まる。お題目を唱え、お焼香を済ませて後、貫首様より妙法寺についてお話をして頂く。  妙法寺は、六老僧の一人、日昭上人によって開創され、当時越後の大守風間信濃守信昭公、幼い時に鎌倉にて日昭上人の教えにふれ、その法力によって長寿を保ち、それが縁となり、上人の一字をもらって「信昭」と号したと伝えられている。以来、日昭上人の外護者となり、宗祖二十五回忌に当たり相州名瀬に妙法寺を開いたが、北越の地に法華の道場がない事を憂い、日昭上人、元亨三年(一三二三)百三歳で入寂の年、「名瀬」の寺を「村田」に移し、北陸道における仏法興隆をはかり、日昭門流の拠点となった。以後、風間氏より寺領三百五十石を寄進され、一宗の本山としての寺格を整えるに至る。その後、明治に入り戊辰戦争で二天門、七面堂以外全てを失ってしまったが、明治十七年より末寺二十九ヶ寺、檀信徒の協力により本堂、千仏堂、客殿、書院を再建し今日に至っている。記念撮影をし、歴史を物語る二天門をあとにする。参道に水芭蕉を見つけ春の足音を感じつつ次の予定地へ。

【番神堂】

原子力発電所で有名な柏崎市刈羽を右に見ながら、田植えの準備が進む静かな農村地帯を抜けて、昼食場所のレストラン「キーウエスト」へ。
昼食後、日蓮聖人ゆかりの地、柏崎番神堂へ向う。文永十一年(一二七四)佐渡配流を赦された日蓮聖人が佐渡を発ち、寺泊へ向う途中、嵐に遭い、流れ着いた所が日本海に突出した現在の番神岬。無事上陸出来たのは、八幡大菩薩の御加護と感謝し、八幡大菩薩を中心に三十番神を祀ったのが番神堂の始まりと伝えられる。古色蒼然とした宗門史跡、本堂において御開帳、お題目を唱える。
その後、ご住職よりお話を頂いた。番神堂は、明治四年の柏崎大火で類焼。その後、明治十一年に再建。入母屋造り、名工の手になる見事な彫刻がはめ込まれている。特に「獅子頭の蝶」を見つけると幸せになると言い伝えられており、私共一行も目を凝らして探し、やっと見つけることが出来た。
民謡の三階節にも謡われている番神堂。眼下に柏崎港を見下ろす高台の一角に与謝野晶子の文学碑も建てられていた。
番神岬の日蓮聖人銅像、青い海、澄んだ空、遥か水平線に浮かぶ佐渡島、七百年の歴史を感じ、今も変らぬ自然の美しさに時の経つのも忘れる。この素晴らしい景観の保全に取り組んでおられる方々に心から感謝し、
ご住職に見送られて再び長岡へ。

【蓬平温泉】

平成十五年十月二十三日、中越地方を襲った大地震は未だ記憶に新しい。生々しい傷跡の残る山肌をぬって蓬平温泉、被害から立ち直り営業を再開した和泉屋に旅装を解く。
まだ雪の残る山あいの温泉場、一風呂浴びる。
日本海の旬の魚、日本一の魚沼産コシヒカリ、食欲倍増の食膳が疲れを癒してくれた。翌日、東の空が少し明るくなる頃、上弦の月が山の端に消えてゆく、山ならではの夜明けを堪能する。朝食後出発、国の重要文化財「目黒邸」を見学。寛政九年(一七九七)の建築物、中世武士の系譜をひくといわれる豪農の館。古文書や大庄屋の生活用具等、豪雪地帯での暮らしを知り、現代に伝えられる江戸時代の農村文化に触れることが出来た。小出、湯の谷を過ぎ、八海山の麓にある八海山尊神社に寄り、日本一といわれる石の大鳥居をくぐり山岳信仰の名残をとどめる山伏の足跡を訪ねる。予定をややオーバー、国道17号線沿いの「そば処田畑屋」にて名物の「へぎそば」に舌鼓をうつ。
一休みの後、途中「魚野の里」にて越後の名産品をお土産に物色。宅配を頼む人、大きな袋を持ち込む人、旅ならではの出発タイムまでの賑やかな一コマ。あらためて今回の旅を振り返り、刻まれた歴史を学び、人と人との触れ合いの大切さを知る心安まる二日間の旅であった。思い出をいっぱい作り、再び関越トンネルを抜けて浦安へ。
お世話になったみなさん、ありがとうございました。
  合掌 <檀家・泉澤慎吾いずみざわしんご>