てらこや「陶芸道場」15年の歩み

平成28年8月31日記
振り返ればあっという間であり、毎回の写真を見直すと長い長い15年だった。
35歳の人間が50歳になるのは大したことではないが、生まれた子供が15歳に成長することを思えばすごい年月だ。
僧侶としてやりたい事がおぼろげながら見えてきた30歳をちょっと過ぎた頃、所属していた地元千葉県北部日蓮宗青年会で夏休みの修養道場を始めた。
その頃は浦安から毎回30人を超える子供達が参加してくれた。
数年経った平成14年の頃、うちでも独自に修養道場みたいなものを出来ないか考えて始めたのがこの「陶芸道場」だ。
今から思えば、35歳定年で青年会を卒業し、修養道場に子供達を送り出すだけになっていたので少し物足りなくなっていたのかもしれない。
陶芸道場の講師である小泉すなお先生とは、堀江フラワー通りの小さなギャラリーどんぐりころころさんに紹介して頂いたのがご縁の始まり。
すなお先生より沖縄のシーサー面を作ってはどうかと提案頂き、数回やったら他の物を作ればいいと考えていたのがシーサーを作り続けて15年。すっかりシーサーの魅力にとりつかれしまった。
初回の参加者は口を大きく開けた阿形、2回目は口を閉じた吽形、3回目以降は自由な表情で笑顔のシーサーも登場する。それがまた不思議なものでどんな表情でも毎年同じ顔になってしまう。
自分の顔に似てしまうんだとすなお先生は言う。また自分の心もシーサーの表情に微妙に顕れてしまうのだそうだ。
巻き毛の形も奥が深く、何度真似をしても先生のようにはならない。
いずれ立体のシーサーに挑んでみたいと思っている。
参加人数は初回10数名だったのが回を重ねるにつれ20名、30名と増え、ここ数年は60名前後、今年は過去最高の71名となった。大体が口コミ、特に保護者同士の繋がりでここまで増えてきた。
人数が増えてくると1人で子供達を差配するのは無理、先ずは高学年の経験者、保護者有志にスタッフになってもらい準備段階から関わってもらうようにした。パソコンが得意な人が名札を作ってくれたり、大勢の子供達を手際よく移動させるのに工夫を凝らしてくれたり、電気関係の仕事に携わっている人が肝だめし会場を設営してくれたりと、おかげで陶芸だけでなく他の企画も充実するようになった。
寺に親しんでもらうことを目的に始めた「陶芸道場」。
ここ浦安は市の行事や自治会等の行事も多彩、施設も充実している。
塾や野球、サッカー、水泳、ピアノ、色んな習い事もできる便利な土地だ。
だからこそ、寺でやるべきことは何か、寺でしか出来ないことは何か、ということを考えた時、寺は「修行」の場、「道場」であるということである。
このスタンスを崩さず、これからも進化していきたい。

正福寺てらこや「動物園で飼育体験」

平成26年8月25日(月)
今年の夏は初めての試み「動物園での飼育体験」。
ひょんなことから宇都宮動物園の園長・荒井賢治さんと知り合い、とんとん拍子で進んでしまい気がついたら行っていた、というのか実際の気持ちです。
朝6時に集合し、先ずは本堂でお経を読み朝のお勤め。
その後、中型バスにて首都高から東北道に乗り宇都宮へ。
動物園は宇都宮インターを降りて30分もかからない所。
控室に荷物を置くと、早速飼育体験の始まり。
飼育指導員から説明を受け、ラジオ体操でウオーミングアップ。
その後3班(①鳥類、ウサギ、モルモット・・・②カバ、猿・・・③ペンギン、オラウータン・・・)
に分かれてそれぞれの場所へ。餌をあげたり掃除をしたり動物達と間近に触れ合いました。
飼育体験が終わると、全員で7月に産まれたばかりのライオンの赤ちゃんと対面。身体のわりにガッシリした手足です。ライオンの赤ちゃんと触れ合えるのは今の時期だけだそうで運がよかったです。NHKの二ユースにもライオンの赤ちゃんが取り上げられていました。
そして、場所を移して紙すき体験。なんとゾウのウンチで紙を作るのです。ちゃんと消毒、漂白されていますので臭いも無く、草の繊維質を細かく砕いた物を漉いて乾燥させると味のある和紙のように出来上がります。昼食後はテキストにそって動物トレーニングの講義を受け、遊園地で遊びワンワンショーを見学。
午後3時半、すべての日程を終え帰路につきました。
午後6時、浦安着。解散。
この企画、今回は初めてで参加者も少なめでしたが来年は人気が出ること間違いなしの感触を得ました。荒井園長さんとのご縁に感謝し、来年もより充実させたいと思っています。

静岡方面本山巡り参拝

平成24年4月19日~20日
       檀家・泉澤慎吾記
今年で十八回を数える。低い雲に少々不安を感じつつも三十五名の団参一行元気に江川橋際を出発する。
午前七時湾岸から首都高速を経て東名高速へ向かう。レインボーブリッジから見る東京湾も雲でかすんでいる。
今年も楽しい旅になりそうだ。昨年は三.一一の大震災発生、止む無く中止となる。亡くなられた方々、被災された方々に祈りを捧げ、復旧復興支援に経力する。車窓に時折水滴が光る。沼津インターから富士の清流「柿田川湧水」を右に見て三島に入るが、生憎雲に遮られ雪化粧の残る富士山を眺めることが出来ず残念。これからの天候に期待する。三島市玉澤の本山妙法華寺のお上人に迎えられ山門を入る。
日蓮聖人の直弟子六老僧の第一日昭上人によって約七百年前に開かれた。その後元和七年(一六二一)この地に移転、徳川家康側室「養珠院お万の方」や「英勝院お勝」、全国の末寺八十余ヶ寺や徳川幕府が力を尽くした。当時の建物は寛政三年(一七九一)の大火で鐘楼以外の伽藍が焼失してしまった。現在の建物は百数年十年前の再建によるものが多く、今でも復興が続けられていると云う。鎌倉時代の「日蓮聖人説法の図」を始め、国の重要文化財が多数宝物殿に納められているとのこと、貫首様の説明に聞き入る。
湛慶作の仁王像が名の如く仁王立ちに目を見張る。祖師堂にて一同行衣をまといお開帳が行われた。後、茶菓のご接待を頂き庭に出る。庭園には四季折々の花が咲き、訪れる人々を和ませてくれ、菩提樹、沙羅双樹等の聖樹が織りなす優雅な環境が広がっていた。庭の一角にある「日蓮聖人像」が団参一行を見送っていた。
再び沼津へ戻り昼食となる。沼津と言えばグルメの街、朝が早かったので駿河湾名物桜エビを始め、海の幸が空腹を充してくれた。次の予定地、旧東海道沿いの遠州見附の本山、本立山玄妙寺を参拝する。
室町時代元中二年(一三八五)、日什上人によって建立された。毎年十一月十二日の御命講(お会式)には、子育て安産鬼子母神の大祭も併せて行われ、十二日の夜は近郷近在からの参詣者で賑い、小さな子育てぞうりが授けられ、我が子が丈夫に育つよう祈る若い夫婦が絶えない。日蓮聖人御尊像は元和九年(一六二二)に開眼され、約四百年の時を経、多くの寺宝が玄妙寺の歴史を物語っている。
平成十七年十二回目の団参で訪れた会津若松の妙国寺とは関係が深く、日什上人の御廟所は妙国寺にある。日蓮宗本山の奥深さを学んだ参詣であった。貫首様に見送られ山門を後にする。
明治五年学制発布に伴い開校された旧見附小学校を見学。当時浦安では寺小屋の時代。現在まで解体や修理を重ね当時の面影を残し、学校教育の歩みを伝えている。昔懐かしい教科書や石版が小学校時代を思い出し、暫し足を止める。校庭に置いてあった竹馬に乗り、童心に帰った一時であった。
一日目の行程も終り、舘山寺温泉「九重」にて旅装を解く。夕食前にクルーザーで浜名湖を一周。一昨年訪れた北海道大沼の雄大なパノラマを思い出し乍ら、暮れゆく湖の景色を堪能する。一風呂浴びて楽しい夕食タイム。今年で私を含めて三名が参加十回目と云う節目を迎えることが出来た。貞真上人より記念品を頂戴する。達成感と感激で思い出に残る参拝旅行となった。夕食は期待通り山海の珍味に舌鼓、和やかな懇親の席は夜の更けるまで続けられた。浜名湖のロープウェイが霧に霞む幻想的な朝を迎えた。朝食、出発準備と慌しい一時、ロビーの舞台で爪弾く琴の調べに心が和む。小雨降る中を見送られて湖西市へ、吉美の延兼山妙立寺を参拝。今を遡ること約六百年、至徳三年(一三八六)、日什上人の説法を聴き感動、帰依した土地の豪族が、風光明美な水の郷湖西村に上人を招いたことが始まりと伝えられている。今川、徳川両家の祈願寺であった為に寺領七十六石余りが寄進されてきた。総門、本堂、中門、鐘楼堂の建造物があり、中でも総門は最も古く、寛文五年(一六六五)に再建されたものであり、型は四脚門、寺宝「紺紙銀界金字法華経」等、数多くの重要文化財が国の指定を受けている。本堂にてお開帳が行われ合掌してお題目を唱える。
貫首様より縁起についてお話しを聞く。寺内には「トヨタ自動車」の祖、「豊田佐吉家」の墓所もあり、「日什門流八別格本山」の一ヶ寺としての歴史を窺い知ることができた。雨も上り、時代が刻まれた長い石段を下り山門をあとにする。再び一号線に乗り、浜松の「まつり会館」に立ち寄る。毎年五月の連休に行われる「凧の糸切り合戦」、夜は「御殿屋台」が練り歩く伝統のまつりを伝えている。二日目の昼食、浜松といえば「うなぎのひつまぶし」、江戸の蒲焼とは違った味を楽しみ満足、最後の休息となる。総ての行程を終え、お土産も用意、帰り支度を整えるも、残念乍ら富士山に対面出来なかった事が心残り、次の機会に
期待し浜松を後に浦安へ。今回も由緒ある本山を参拝し、お題目を唱え、歴史を知り学ぶ事ができた。
これからも可能な限り参加して「日蓮聖人」の教えを心に刻み生きる糧としたい。そんな思いを巡らせている間に夕暮れの江川橋に帰着し、充実した二日間が終わる。お世話になった団参一行に心から感謝して家路につく。合掌

新春初参り

平成24年1月7日(土)
大本山中山法華経寺~大荒行堂~朗生寺~飯高寺先ず、大本山中山法華経寺祖師堂にてお開帳、大荒行堂では第再行岩田智恭上人御導師の下御祈祷を受けました。昼食後、匝瑳市にある日蓮聖人の最高弟・日朗上人生誕の寺、朗生寺を参拝、御山主の長谷川雄一上人より心のこもった御法話を頂きました。その後、長谷川上人にご案内頂き、江戸時代(1573・天正元年)より
明治5年まで僧侶の学問所として栄えた飯高檀林飯高寺を参拝しました。